ジャック・ケッチャム - 黒い夏

黒い夏 (扶桑社ミステリー)

黒い夏 (扶桑社ミステリー)

 1965年、ニュージャージー州の田舎町スパルタ。地元の不良少年レイは、キャンプ場に訪れていた見ず知らずの少女二人に銃を向ける。「奴らはレズだから」「金持ちだから」というふざけた理由で躊躇いもなく発砲し、一人は即死、もう一人は命からがら現場から逃げ切るも植物状態になる。レイは事件の容疑者に挙げられるが、証拠不十分のため検挙されないまま月日が過ぎる。事件から4年後、生き残った少女の死によって、レイを犯人だと信じて疑わない中年刑事チャーリーが動き出し、小さな田舎町で新たな惨劇が生まれようとしている。


 ケッチャム史上最長の500頁超えをした長編作品。
 全編に猟奇性が渦巻くわけでも残酷描写のオンパレードというわけでもなく、スティーブン・キングばりに丁寧な描写によって大半の頁は消費されていくので、ケッチャムの特性ばかりを追い求めている読者は肩透かしを食らうことになるかもしれない。
 個人的にもその気はあって、やっぱりどこか「隣の家の少女」のような衝撃を求めている節があるらしく、読み始めは遅々とした物語の進行具合に辟易していたのだけれども、非常に慎重かつ緻密に綴られる登場人物たちの心理描写によって、序盤過ぎには本作の世界観にどっぷり浸っていた。秘技・高速掌返し!
 そんな具合に、終盤までは不穏な雰囲気を孕ませながらも、物語は低温のまま展開していくこともあって、どこか安穏とした空気を感じさせていた。ところが、レイが一度暴走し始めた瞬間から、一気にアクセル全開になったかのようなスピード感と緊張感が生まれる。カタルシスが半端ない。まるでポストロックのような展開だなオイ! そこからはもうケッチャム劇場だ。血と汗と硝煙の匂いが蠢く世界に、ただただ圧倒されるばかり。
 というわけで、個人的に勝手に本作のテーマ曲としてMono "Com(?)"を採用しました。レイの心情と照らし合わせて聴くと、より一層何とも言えない感覚を味わえるよ!

 それにしても、本作のダーティーヒーローであるレイのクズっぷりが実に見事で、彼の一挙一動に思わず心が躍った。
 悪役たる思想/哲学なんてものは一切皆無で、格好良い悪役に必要不可欠な知能も知性もない。低身長ながら美しい顔を武器に人の心の隙間に潜り込んでは平気で嘘をつき、年下ばかりを周囲に置いて自尊心を保ち、モーテルを経営する親に寄生し、マリファナでラリって、いいオンナとお気楽にセックスをする。戸梶圭太も真っ青な激安野郎っぷりにシビれずにはいられまい。
 そして激動の大団円。チャーリーら警察に追い込まれたレイの行く末がこれまた下衆な味わいがあって、ケッチャム文学を読んだ後に得られる胸糞悪さは健在だった。最高傑作ではないけれど、久々のケッチャム節を味わえたのでとても満足。

 ところで、私は初版を読んだのだけれども、人物名の誤植が多かった。確認出来ただけでも4回あった。ここまで誤植が多い本を読んだのは初めてかも。